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主は今、地に語られる

聖書箇所: エゼキエル3:4-11

今主はこの地(国)をご覧になり、滅び行くその姿を嘆かれ、この地を治めるべくこの地に立てたご自身の聖徒達のこれまでの歩み、また今現在のその姿を見て、警告を語られています。
それはこの地を任せられたはずの者達が、本来の見るべきものから心を逸らし、この地に宝を積み、神に富むことなく、この地で自らが豊かになることに心奪われていると。神の民に対してつまりは私達自身に、神の目から見えるあなたがたの本当の姿を見よと語られています。
その姿は確かに神殿にその身はあるけれど、その実は偶像に顔を向け自らを豊かにせんと他の神々にひざをかがめるエゼキエルに見せられたイスラエルの民の姿そのもの【エゼキエル8-10章】。
しかし主は本当は私達を天にまで引き上げ、主の御座近くの特別な場所からこの地に、この御国の豊かさに生きる者達に「神の国(御国)の福音」を与え、この福音によって罪が熟したこの地を救うため、神の思いをもって遣わそうと計画されていたのです。
だからこそ、私達には神の御国の麗しさを主は語り続けて来られた。ご自身の御もとに全ての者達を引き寄せ、全ての者達を救うために。
しかし今私達は自らの思いの内に、「
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。【黙示録3:16,17】」
と言われる存在にまで、自らを引き下げてしまったことを、主は私達に見せようとされているのです。
ですが主は、時(罪)は熟した、この地を裁くためにご自身が臨まれこの地に王座を置かれる時が来たと言われます。
だから目を覚ませと、私達の姿を直視し、悔い改めてもう一度主にあって立つようにと、迫られているのです。
今回は主の厳しくも私達への愛の故に、私達に与えられた本来の主の僕としてのあるべき歩みに帰れと語られる主の叱咤激励に、心から誠実に向き合い御言葉に耳を傾けていきたいと思います。

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